2005年の徒然な日々
「父との日々」


この数ヶ月、毎日父と病院に行った。

たまたま男と別れたりいろいろあって(略!)実家にもどったわけだが、そんなタイミングで父が末期癌と叙勲のお知らせ。家族でわっしょいの日々だった。

わたしも車いす押し係として皇居内に潜入しあの通路で手も振ってきた。
>お父さん、一生体験することのないであろう、貴重な体験をどうもありがとうm(__)m

痛みをわけあえる人が複数いて良かった。


父は、定年直後、自治医科大学に献体登録をし、しばらくして、久留米にあった原家代々の墓をたたみ、ガンジス川やプラマフトラ(?)や筑後川に、ご先祖さまたちを散骨しちゃって、宗教は持たないが、般若心経をココロの教典としているオトコである。

実存主義と哲学と世界史と障害児教育とカウンセリング研究&育成に生き、定年後は世界中の霊峰を巡ったり、シルクロード巡礼の旅をしてきた。

父は、20年東京にいた私のところに、旅帰りに来ては、下北あたりの赤ちょうちんでよく呑んだし、
美術が好きなので一緒に上野の展覧会にもよく行った。


小学生にあがるまでは一緒に暮らしていたがそれ以降は、諸事情あって祖父宅に移住。

週末だけ父と暮らしていた。

そんな時も自殺志願者の悩みを何時間も何時間も電話で聞いていたものである。

そんな父、ついこの間の8月までチベットの山奥に行っていたのに、今は末期癌・生きられても月単位、
と言われちゃったがとにかく一緒にいるものはあの痛みで苦しむことさえなければもうそれで良い!と思えてくる。


お医者さんも大変であると思うが、
いろんな科すべての(外科・神経内科・呼吸内科・骨軟部腫瘍科・抗ガン剤治療科)お医者にあって思ったけれど、

結果は、結局黒であっても、言葉ひとつで、患者と家族って救われたり救われなかったりすることを体感した日々だった。

いろいろシリアスに考えた時期も少し落ち着いた。


うちではもう限界だったので入院し痛みのコントロールをしてもらっている。


落ち着いた様子の父、おそらくモルヒネでキマってるのか?かなりオモシロイ人に変身。


自分のおならに今後の人生の決定をゆだねたり。

どんな状況でも、オモシロイ事があれば、それで吉。





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