2006年1月9日の徒然な日々
「看取り トリロジー Episode3」



そして、
生前から葬式はやるな、墓は作るなと「注文の多い仏さん」などという遺書も書いて
家族には爆苦笑だったけれど、常に因習にうち勝て!
という父と因習を大事にする母との間をとって「 送る会」という儀式にて送った。

それは、父の友人の陶芸家や文筆家の皆様に会を設営していただきホントにココロのこもった、
あったかな会にて私も家族もみんなで歌って送ってすばらしい時間だった。
(もちろん、チンポコ太郎先生の校歌も歌った(爆))


父が育てたカウンセリング関係の立派な方々からのお言葉はホントウに大変な誇りに思えたけれど
見栄や地位や名誉も何も関係ない式になったことは父の思うツボだったに違いない。




献体をしていたので自治医科大学へ見送った



父のその遺書の結び。
「玉梓の妹は花かもあしひきの この山影にまけば散りぬる」
万葉人は墓など作らなかったし親鸞も「それがし親鸞開眼せば加茂川に入れて魚に与うべし」
と言っているのだから。


・・生前は、なんてロマンおやじ!言ってるだけぢゃん?
なんて斜めに見ていた私であったが彼は見事にそれをやってのけてくれてしまった。

どこにいても祈りはあるしそれは通じるというそれが「般若心経」だということも身をもってやられてしまった。

私のアイデンティティの半分以上の支えだった存在がこの世界から消えることは
体の半分がえぐりとられるような寂しさを覚えたけれど、私がシリアスすぎる時、
彼がいつでもひょうひょうとユーモアを忘れなかったことを私は忘れないようにしたいと思った。



彼の身体はこのあと医大生の解剖実習に役立たったあと、彼の歩いた世界中の霊峰へまかれ、
そして、ご縁のある高野山へ連れて参ります。




  ありがとう。
  おとうさん。
  また会おうね。


                      みどり拝



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