2007年の徒然な日々
「火葬パーチー」


先日、ようやく自治医科大学の解剖実習のお役目を果たした父の肉体帰還・火葬パーチーが開催された。
墓つくるな、葬式するな、献体してネ☆の父のいいつけを守るため、様々な因習トラップをクリアしながら、
献体してから1年半がたったのだ。

市の斎場にて、解剖実習をしてくださった大河内教授&献体スタッフの方がいらっしゃり集合。
棺の中は、当たり前に見せていただけない雰囲気なので見なかった。
ようやく父の肉体が、この現世から無くなる瞬間がやってきて、 お坊さんがいない分、
私たちが本当に心の心から心を込めてお経をあげなくてわ・・と思った。

その後、焼き上がる(?)までの間、控え室でお茶をいただきながらなんとなく突然に、大河内教授より
病理解剖の結果が知らされた。

父の死因は、背骨の3.4.5脊髄に巣くった大きな腫瘍にて、
すべての検査をしても原発がわからなかった「原発不明癌」というものだったのだが、
解剖すれば、原発がわかるはずだ!ということにて、真犯人登場に期待!
といった心持ちであった。

しかし、
教授はキレイなピンクの模様がはさまったプレパラートを差し出して
?「どこを開いても内臓はキレイでした。結局、どこにも原発巣がない。これ(プレパラート)がですね、
その脊髄からこそげ採った腫瘍細胞なんですが、顕微鏡でみますと、
普通こういう細胞は、怖いいやな顔をしているんですが、
これは、どちらかというとやさしい顔をしている・・。不思議ですね。
今まで何千という症例を見てきましたが、
こういうのは初めてです。 」

私は内心(癌細胞を人の表情に見立てるなんたぁ!さすが解剖学のセンセだねっ!)と、
感心いたしとった。

つづけて
「この腫瘍は、脊髄から出ている肋間神経やすべての神経を見事に巻き込んでおり、
普通ならば、脊髄にメスを入れますと、跳ね返されるのだが、容易にスッと入ってしまった・・・・
ということは、すでに脊髄がすでにつぶれても(骨折)おかしくない状態だったでしょう。

結局、原因はわからなかったのですが、ただひとつ言えることは、想像を絶する痛みだったであろう、
ということです。
モルヒネがなければ耐えられなかったんじゃないでしょうか?」との事であった。

父とのホスピスに行くまでの数カ月は、痛みとの闘いの日々であった。
「痛み」というものについて、あまりにも鈍感な発言と対応しかしなかった幾人かのお医者さんに対しては、
私は、今でも怒りを感じる。
だから、そのようにお医者さんの言葉で発言していただいたことに、なぜだか少し、ホッとしたのであった。
(でも、私にもそれほどの痛みを想像することは出来なかったけれど。)

んで、そのプレパラートを「差し上げます」と差し出されたので、断るすべもなく受け取ってしまったが、
いったいどうしようというのか!このにっくき細胞どもよ!!と言った複雑な気持ち・・。
かといって、捨てるに捨てられず、その後しばらくは父の作った仏像・ダルマ像の下敷きにしておくことに
なるのだが。(餓鬼か!?)

・・・・そして父・焼き上がり!( ?)

きっと内臓などがないのだろうか?
火葬時間が通常より早かったように思う。

お骨を骨壺に入れる例のお箸の儀式をしたあと、大半の残りを骨壺に入れるだんになり
私「あ、これって額じゃない?あんたそっくり!」と手にとり、妹に手渡すと、
さつき「ほんとだー!」と、額にあててみる。
「わーーそっくりだねーいいなぁ」とウレシイ気持ちになる姉妹なのであった。

頭蓋骨は他の部分とちょっと骨の質が違うようだ。
きれいな白で滑らかな感じの表面だ。

つい「先生、この湾曲してるようなやつは頭蓋骨ですか?」と教授に質問すると、
「そうですね、この部分の髄液が火葬で蒸発するので湾曲するんですね〜」
などと、先生もふつ〜にさッとその骨を手にとり、もろもろ講義をしてくれるのであった。
先生の話についつい家族皆で「ホォ〜〜〜〜」と感心しながら、
喉仏の骨も、仏さま座像姿よろしくカンペキにて美しく、しばし盛り上がってしまった私たち。

・・・・・が、しかし、そういへば、ここは火葬場・・・。

見かねた(?)斎場の方が、
「あとはこちらで骨壺に入れてよいですか?」と、お好み焼きを手際よく焼くような手つきで、
シャカシャカっと音をたて、父の骨はシンプルな例の白い壺へと入れられていった。

でも、父はきっとこんな風景もオモシロガッているにちがいない・・暗黙に感じていた三姉妹
&母なのであった。

と、いうわけでお次のトラップは散骨だわっ!
骨砕かなくちゃ!

つづく。

2007/7/26 みどり拝


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