2003年11月の徒然な日々
「バイバイ金蔵さん」


おじいちゃんが危篤といわれて数日がたった。
すでに肺炎を起こしていて、レントゲンでは右の肺が真っ白だった。

昨日、おじいちゃんの右手がグローブのようにふくらんでいて冷たくて
少しへんなにおいがした。
麻痺を起して、きっとすでにエソを起こしているんだと思った。
右ってことは、左脳に何か異変が起きているのかもしれない。
・・と思い、看護婦さんに伝えたけれど、そっからはなんかする手立てもなく、
すでに酸素マスクをつけてこん睡状態なので、じっと見守っているしかないみたいだ。

その日から、病院に寝泊まりすることにした。
お布団を持ち込んで、妹のさつきと変わりばんこで床で仮眠をとることにした。

消灯時間もとうにすぎて、夜深く午前2時をまわってた。
ベッドサイドの灯りだけに照らされておじいちゃんのうすい息。 

結局眠れなかったわたしはおじいちゃんの温かいほうの手を握ったまま 
父からかりていた「チベット死者の書」を読んでいた。

たしかその本の途中のどこかに往生要集のことが書いてあって、おそらく「二十五菩薩来迎図」という絵がのっていた。 

その絵は、今息をひきとろうとしている人のもとへ、天から阿弥陀如来と天女たち(?)が
いろんな楽器を奏でながら光に包まれてやってくるような絵だったと思う。

病室内の深夜のそのまた深い夜の空気という空気が粒子になっていってツブツブに感じられた。
ものすごく濃密な空間の気配だ。
手の握りの温かさだけがわたしとおじいちゃんの生きている証みたいなツナガリで。
ごく自然にその来迎図の意味をその濃密なツブツブの中で「合点」してしまった。

朝方5時、妹と病院の外に出て空を見上げると冬の星。 
冷たく透き通った空気を体いっぱいに吸い込んだ。
悲しくもうれしくもせつなくもなんともない気持ち。
いったん父宅に寄り、父と千葉からかけつけた姉と母と、しばらくおこたつで申し送りをしてバトンタッチ。
みんなまんじりともせず待っていたようだ。

祖父宅にもどった。 
かつて祖父と過ごしたお茶の間の障子のすきまから、ひとすじの強烈な夜明けの光が注いだ。
私はこの家で育ってきたが、この窓から朝焼けを見るのはよくよくはじめてだったことに気付く。
その朝の光の中には、きっとあの来迎図の楽器をもった天女たちの、私たちには聴こえない音楽が鳴っていて、
たった今おじいちゃんにはその音楽を聴いているのだと、ごく自然に思った。

ベッドにはいって数時間後、 
10時10分、母から息をひきとったって電話があったときの不思議な安堵感。
お天気で光がいっぱいな朝でほんとうによかった。


みどり拝

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