2003年の徒然な日々
「うたさんと金蔵さん」



2003-6・21
高根沢シルバーホーム・原みどり&チャンチキズ初慰問ライブ

演奏曲目
アラビアの唄・私の青空・一番はじめの一の宮・カチューシャの唄・青葉茂れる桜井の・東雲節・
ゴンドラの唄・上をむいて歩こう・しあわせなら手をたたこう

このチャンチキズというユニットをつくったきっかけは、この2年くらい前だった。

私の祖父の金蔵さんは明治生まれの93歳。蛇の目ミシンの部品を83歳まで作り続けてきた、たたき上げの職人さんだった。
仕事をやめてちょうど3年後に認知症になり現在は重度の為、施設に入所。
ここ数年はお盆・暮れお正月だけは家に連れて帰って、二人でしみじみと過ごしている。

元・超酒乱のじーさんだった。
祖母が分裂病になったのも金蔵さんに原因の一端があったということは家族の暗黙の了解だった。
そんな両親に苦労させられてきた母の律子さんは「もしおじいちゃんがボケたら、後ろからけっとばして階段から突き落とそう!
なんて思っていたけれど、実際にそうなってしまうと、なんだか可愛いもんだね」
子供心にそんな金蔵さんに私たち三姉妹も恐怖心を抱きながら育ったが、今では私も母と同感だ。


ある時、母と施設に遊びに行くと、若い介護士さんとお年寄りの皆さんがテーブルを囲んで、
それぞれ一人ずつ唄を歌っていた。

一人のおじいさんが歌い出したのだが、歌詞を思い出せず昔の唄を知らない介護士さんも一緒に歌えなくて、
唄が途中で終わってしまった。

その現場を通りすがりに見聴きしていた私は、なんだか大変残念な気持ちになったことが、
チャンチキズを作るきっかけとなった。



その昔、コロムビアレコードに所属していた私は、当時お世話になったレーベルの部長さん・飯塚恒雄氏
(当時、時々心配してくださり、おやじの憩いの町・新橋へ連れてってくださるナイスガイ)に、
呑みながらそんな施設での話をした。

すると、さすが老舗レコード会社!さすが部長っ!である。その後コロムビア音源の「昔懐かし流行り唄」とか、
その他30-40枚はあろうかと思われるCD一式と関連資料を貸し出してくださったのである。

・・しかし、その後といえば介護仕事とスクールの仕事で休みなく忙しくなってしまい、しばらくは手つかずになってしまっていた。

そんなある時、介護仕事の現場で金蔵さんと同じ年くらいの明治生まれのおばあちゃんと出会った。
この方も重度の認知症であったが、ご家族の配慮でなんとか自宅で介護をうけていらっしゃった。
主に身体介護のお世話だったのだが、一緒にいる間、歌う歌う、昔の唄を続けざまに。

私も調子に乗って、一緒に歌わせて頂いたが、いきなり「つづきを歌ってごらん!」と言われ、
途中の歌詞もわかるはずもなく、絶句していると「頭に鳴ってるもので作ればいいんだよ!唄なんて」と叱られた。

とにかくそれ以外にもいろいろと叱られて、土下座して頼んでも体を触らせてもらえなかったり、
1時間の介護のところ3時間も居残り状態になったり・・。トホホなのであった。

事務所のケアマネージャーの方からは「その方をクリアできたら一人前よ」と言われたが、
毎日毎日入れ替わり立ちかわり、いろんなヘルパーさんがやってきては、その方が望んでいないこともあるだろう。

死の準備をすでにしているように思われる発言もしながら過ごしている方にとっては、
そうそう自分の大切なエリアをこんな小娘に勝手に入り込まれたくなかったに違いない。

しかし、そんな彼女と出会ったおかげで、彼女の唄っている唄は何ていう曲なんだろう?
もっと一緒に歌えるようになりたいな、と思うようになり、飯塚氏から送って頂いた資料を改めて勉強することになったのである。

ある時満を持し、彼女の様子を見計らい「中山晋平先生の「カチューシャの唄」を歌わせていただきます!」
と改めて歌わせてもうことに成功した。

彼女は目をつむってじっと聴き入ってくれたあと、ニコニコしながら彼女にしか見えない世界から
「私がいつも訪ねる**先生のおうちの門を入るとね、綺麗な庭があって玄関があってね、
可愛い小鳥がそのへんにピーチクパーチクいっぱい飛んでてねー。
で、門までは入れるんだけど家にはなかなか入れないの。あたしなんかは時々入れてもらえるんだけど。
あんたの声は、そのうちの扉を「こんにちわー」って開けて、そこを出たり入ったりしてるような声だねえ」と、
初めて褒めてくだすった。

それが本当にウレシクて、私はまた「歌」というものを歌いたい!と思ったのであった。
できすぎかもしれないが、そのおばあちゃんお名前は「うた」と言った。

うたさんとは毎回が一期一会で、私の名前も経歴も知ったこっちゃないのだが、
そんな出来事があってから、叱られることもなくなり、下着の交換や髪をすいたり
体の清拭などもさせてくれるようになって、別のヘルパーさんの話によると彼女の物語の中では、
私は「二階に住んでいる女子学生」ということになっていたそうだ。

それからは毎回緊張感はあるものの、とっても楽しみになり、
別れ際には必ず「水師営の会見」という軍歌(潔い別れの唄)を手に手をとって歌って部屋を後にするようになった。
いつでも、これが最後だよっていう感じで、ぎゅっと手を握る。
帰り路はその軍歌を歌いながら自転車をこいだものだ。

「さらばと握手―ねんごろに〜別れて行くはみぎひだり〜♪」

彼女は頭の中でいろんな時間や場所を行ったり来たりしていたが、
唄の世界ではわたしたちは繋がりを持つことができたのだ。私はただ無心で真剣に何かをすることをうたさんに教えていただいた。
自分だけの思いで焦ったり、無意識に持ってしまっていた偽善的な考えや声(考えがきっと声に出ているんだろう)を
見事にぜ〜んぶ見抜く方であった。日本では残念ながらそういう感覚がなくなりつつあると思うが「長老」の風格なんだと思う。 

後日、父にその話をすると父が
「その小鳥のいる庭の話は、おそらくキリスト教の聖書の中の話なんじゃないかな?
そのおばあちゃんの言う家の中にはきっと神様が住んでいて、おばあちゃんはあちらとこちらの世界を行ったり来たりしているんだろうねぇ」
なんて話をしながら、例によってオレたち親子、酒を酌み交わしすぎながら
「さらばと握手〜ねんごろに〜♪」を歌いながら夜は更けるのでありました。

(後日わかったが、彼女はやはりキリスト教徒であった)

そんなこんながあって、
「2003-6・21 高根沢シルバーホーム・原みどり&チャンチキズ初慰問ライブ」

聴いていただくよりみんなで歌えるような、今回は80〜90代の方々に向けた選曲だ。
なんだか幸せな波動みたいなものに満ちていくのを感じたライブだった。

その翌週、祖父に会いに行くと、私たちが歌ったことなんてすっかり忘れていてチョー爆苦笑!
しかし、歌ったあのときにわたしたちは手をとりあって確かに楽しい時間を共有してたんだから
それだけで御の字だ。


「さらばと握手〜ねんごろに〜別れて行くはみぎひだり〜〜〜〜〜♪」

そんなもんなんだね、きっと、どんなことも。



みどり拝

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