2007年の徒然な日々
「無の探究」


父が亡くなってから約一年たった頃、朝のおつとめ(ポクポク&お経)をするようになり、
夜は父の仏前に晩酌をするようになり、一杯、また一杯、そして、また一杯・・・(爆)。

調子にのって飲み過ぎると、 とにかく「声が聞けなくてさびしい」といった気持ちがわきおこり、その感情にエキサイターがかかり「おどーざーーんっ会いたいよーんっ(酔)っ」と、ぼわーっと泣いとる日々が、さざなみのようにやってくるのであった。 まさに「さざなみ慕情」なオレ。

或る夜、また例によって、ぼわーっと泣いとると、
(おそらく父が、ココロの声で)「泣くな。もう「無」であるということを悟りなさい。今のお前にはもうそれが出来るはずだから。」
私「そうなの?いつまでもこんなんしてて、ごみんねーーー泣。えへへへッ(酔・テレ)」と、
とりいそぎ気持ちが唐突に切り替わり、正気を取り戻したのであった。

その数日後、朝のポクポクお経をしながら、ぼーっと父のお仏壇ルームの書棚を眺めていた。

(この仏壇は、九州の父方の亡き祖父母&ご先祖さまの為のものなのだが、その祖父母たちの骨は父が10数年前、九州の叔母の尼さんに骨を砕いて頂き、父が巡礼しながら、ガンジスの源流や筑後川へ散骨している。
古いお位牌は昨年、父の遺髪とともに高野山へ納めた。
このような仏壇というトコロには、ホントウはダレモいないのだけれど、ホントウに気持ちを込めた祈りだけがあれば善いのだってことを、父には教えられた気がする。)

その仏壇の下にちょっとした書棚があるのだが、ここには、おそらく父が学生時代から大切にしてきた本たちが並べられているのだが(老子、荘子、禅、空海とかいろいろ東洋思想等とか心理学関係)、
ふと「無の探求」というタイトルが目に入ったのであった。

私は極自然にココロの中で、
{あ、「無」だー!そういへばこの間、お父さん「無」のこと言っていたねー。
よくわからなかったんだけどーーこの本読んでもいいですか?}と、問いかけた。

すると父「う〜む、おまえにはまだ早すぎる。」・・とのこと。
・・ポクポク・・。 お経お経お経。

私「ぢゃ、最近いろいろ仏(ブツ)話で長電話してるの知ってると思うけど,ナポリさんにかしても良い?」と聞くと、

父「ナポリさんならいいよ。」と、伝わってくるのでありました。

元SPANKHAPPYのマネージャーで、10数年来のおつき合いのあるナポリさんとは、昨年よりブツ(仏)話で盛り上がっていた。月に2回くらいは、5?6時間の長電話・ブツ(仏)談義が当たり前になっとった。

彼女も、長年信頼していた仕事仲間が病気で亡くなったり・・いろいろあって、ある時、雷に打たれたように(?)禅に目覚め猛勉強をしとったそうで)

私は「ぢゃ、ナポリさんにかすね」と、その書棚から「無の探求」を、ハジメテとりだしたのであった。
そして、ぱらぱらとページを開いてみると、
彼女が読みあさってると言っていた、梅原猛センセの著書でワないかい!?

数日後「無の探求」は彼女のもとへ運ばれていき、
後日、彼女は「今ちょうど知りたかったことが書かれていたよ。お父さんに御礼を言っておいてね」と、
また父の変わりにいろんなブツ話をしてくれるのであった。

おとうさん、ナポリさん、ありがとう。

2007/2-3みどり拝


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